サタログ

読書、日常、etc...

秋めいて来まして

本業忙し過ぎる😪

中々自分の思い通りに行かない、時間のコントロールまだ仕切れないこの感じがうーってなるけど上手くやるしかないっすね。


思うんだけど、時間がある時に限ってやる気が下がる良くないクセがあるからそこは改善しないとな


わーわー喚いているけど、時間が無いわけじゃなくて、結局時間の管理が下手なだけの話のようにも思える


あと、考えなくていい時間帯にモヤモヤ他のこと考えていたり

これも時間管理ってことなんだよね


優先順位をしっかり考えて、ブレがない仕事にしたい!


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いやー

ほうちはよくない、うん

色々忙しくてストップしてたけど再開するか、、

あれから色んなことがあったな〜。

とりあえずそろそろカルディ行きたい。

チーズとココナッツウォーターは確保しておきたい、ところ。まぁ、これじゃあ中々痩せませんわな笑

友人に薦められて『赤頭巾ちゃん気をつけて』を読んで気づいた8つのこと

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とある友人からこれを読まないなんて君は人間じゃないよと罵倒され参ってしまったので読んでみました。罵倒はされてません。

 

 

〈本作品の簡単な要約〉
1960年代後半、学生運動が過激化し東大の入試が中止になってしまった年の、エリート高校3年生薫の心の葛藤をサラリとしたテイストで描いた作品です。詳しくは読んで下さい。ってことで以下ネタバレ要素満載になります。

 

 

※注意点
1.意見を整理して論理立てて書くのが苦手なので、思いつくままに書いていきます。
2.全体を評するということはしません。良い悪いや、100点満点中何点といった類の評価は主観的側面が強く、感想の共有という観点ではあまり意味をもたらさないからです。あくまで、中身をじっくり見ていくということで、ご了承頂きたい。

 

 

 1.括弧について

冒頭からの括弧連発(心の声?)に早速萎えた。萎えた。萎えまくった。何故なら僕は文章表現の中でも括弧が死ぬほど嫌いだからだ(それを今から証明しようと思う)。自分は文を一字一句噛みしめるように(そう、それはまるで音読するが如くのようなんだ)ゆっくり全部読むタイプの人間なのだが(だから遅読なんだよ)、括弧があると文章を読むリズムを強制的に(といっても、誰も強制はしていないのだけれどね)中断させられてしまうのでとてもイライラする。それ、括弧の必要あるんか?これ、ラップなんか?普通に句読点含む文章に落とし込めなかったのかな?と思った。それでいて後半は括弧なしの怒涛の感情吐露長文(なんか語感良いなこれ)ですよ。出来るんなら最初からやれやコラー!!!!!!!!(スッキリしたね)
又吉の『火花』とかもそうなんだけど、何故か小説の頭の部分って気取りがちというか、クドい表現になりがちなのは何故なんだろう。やる気メーターが上に振り切れすぎておかしくなっちゃうのかな。よくわからん。

 

 

2. 傍線

全く本文とは関係ない部分なのだけど、僕は本書を図書館で借りて読んだ。そしたら、至る所に鉛筆で傍線が引かれまくってました。萎えた。萎えた。萎えまくった。世間に、社会に、時代に負けたと思った。ミステリー小説ほどの致命傷(犯人の名前とか)ではないにしろ、こうしたオナニーマーキングほど他者の読解の妨げになることはない。くっそー、図書館もさー、消しといてくれよなー。まーパラパラと破れたりしてないかチェックするぐらいなんだろーなー。しょーがないかー。さて、ここでこの負の感情の連鎖を僕が断ち切って、消しゴムかけておこうと思う天使の自分と、そのままにしておいて後世の読者にも同じ気分を味わってもらおうかという悪魔の自分がいます。どうすればいいですか。

 

 

3.ラッキー

そんなわけで中々不調な滑り出しの中読み進めていった自分なわけだが、女医のシーンには控え目に言って割とかなりびっくりした。ここだけ作者変わったのかなと思った。あるいは、ここだけ袋とじのコンテンツなのかなと思った。と同時に、僕が小学生の頃経験したあるラッキースケベのことを思い出した。単純な比較は勿論出来ないが、男子が興奮する要素に「覗き」成分があることは間違いないと改めて確信しました。ちなみに、童貞はこれに妄想力係数がかかってさらに興奮値が増大します。何の話だ。あとは、このシーンだけ女の子に朗読させてみたいっすよね〜(笑)だから何の話だよ。

 

 

 4.食べ物

うまそうに桜餅食べる描写地味にすげえなって思った。小説とか映画って、出てくる食べ物も醍醐味だったりするよね。ラピュタの目玉焼きトーストとか、ご馳走でなくてもそそられるものがある。真似したくなるような何かがある。グルメ小説とかじゃあないんだよね。グルメはそりゃおいしくて当然だろって思う。普通の小説のワンシーンにちょっと何気なく描写があるのがいい。それでいい。それがいい。

 


5.時代

安保闘争や当時の学生運動のことを僕はよく知らない。知っていても社会科の教科書レベルだ。だってその時代を生きていないし、なんなら親すら生まれているか微妙な所だから、僕はこれについて生身な情報ってものを何ひとつ持っていない。ただ、この学生運動や70年代の暴走族等を経て、日本がより強固な管理教育を導入していったことは何故か知っている。これを期に、大学のルールから高校以下の教育方針においても、徹底的な集団主義と個の排除が推し進められていった。それは大人しく従順な子供或いは労働者を作るという目的においては成功したと言えるのかもしれない。そして今の時代はこれにインターネットが加わり、より集団による圧力というものは強くなっている監視社会でもある。社会の性質というものは、法律が作るのではなく、実際的な、空気というものが決めてしまう部分が少なからずある。作品では日比谷高校の自由闊達な校風も失われつつあり、薫は時代の変曲点に立たされた若者と言えるだろう。

 

 

6.一抹の…

僕は受験生の頃、自分探しと称して地元をただ茫然と散歩したことがある。何か気分が晴れるかもしれない、何かが見つかって変わるのかもしれないという期待を込めていたのだろう。しかし、そんなことをしても無常な感情はむしろ増幅するばかりで何の意味もなかった。このような時の感情をガラリと変えてしまうものは、案外何でもないようなことだったりする。しかもそれは突然やってくるものであり、予測ができない。尚且つ、それを自分が欲していたとしても手に入るようなものではなく、偶然、天からの贈り物のようにやってくる。薫にとってそれは赤ずきんちゃんだった。要するに、外部からの刺激が要るってことである。

 

僕はてっきり、ダークサイドに堕ちかけた終盤の薫が、赤ずきんちゃんを誘拐したり何かするんじゃないかという恐れをわずかながら抱いていた。が、残りのページ数を見て、いや、ここでそんなどんでん返し的な発展はないだろうな、でも万一にひとつ、といった気持ちで読み進めた。一気に読んでしまってこの不安を一刻も早く解消したかった。どうも自分は、タイトルや一部の情報から展開を曲解する悪い癖があるのだ。そのせいで、とある友人とブログで論争をおっ始めたこともあるくらいだから。

 

 

7.属性

薫が自身は何者にもなれないという社会からの疎外感を感じているのは、今の時代にも通じる部分があるだろう。ヤンキーでもオタクでもリア充でもない何の特徴もない、強いて言えばイケメンではない何か、そんな自分に何となく不安を抱く若者は多い。それはラベリングされるという他者からの目線を嫌というほど感じ取っていて、それが内面化しているからである。他者にラベリングされたくないという意識がある一方で、自分に都合のいいラベリングはされたいという我儘さを、何者にもなれないと悩む若者ほど持っているものだ。さらに、悩む人ほど自分の自分に対する意識が強く、他者への意識が弱いと言えるだろう。薫も、冒頭の由美との電話で、自分が話したいという意識が強いあまりに由美にそっぽを向かれてしまっているし。

 

そして僕が最近よく思っているのが、面倒くさい男に相性が良いのは、純粋な人なんだろうなと思う。あるいは、動物とか。対照的に、面倒くさい男に面倒くさい女は一見良さそうに見えて最悪な組み合わせだと思っている。それは同族嫌悪の部分も大きいが、それに加えて、面倒くさい人は他人に対して気をかなり遣うという所も大きい。普段は他人に対して気を遣うがあまり、反動で近い存在には我儘になってしまうのだ。勿論四六時中我儘ではなく、気を遣う部分も残ってはいるが、その中途半端に残った気遣いの残骸が、(特に喧嘩の時は)逆に神経を逆撫でしてしまうことも多い。ストーリーにケチをつけるつもりはないのだが、僕は薫と由美は相性としては最悪な組み合わせだと今でも思う。赤ずきんちゃんに巡り会って何だか興奮してはいるが、それはカンフル剤のようなもので、その決意のような感情はおそらく長続きはしないだろう。またいずれ揺れ動く時は来るはずだ。でも、それが悪いとも思わない。だって、感情だもの。人間だもの。どうも最近某「象が出てくる自己啓発本」を読んだせいで、こうした「決意すること」に少し醒めた自分がいるのも事実です、、小説にメタ思考を持ち込むのも何だか野暮だと思いますが。誤解がないように言っておくと、決意を否定しているわけではなく、それを持続することが難しい、ということです。

 

 

8.諦めるということ

作品では薫は東大への進学を断念することになるが、ここで諦めるということについてちょっと考えたいと思う。諦めるとは、元々明らむ(あきらむ)からくる言葉で、物事を明らかにする、はっきりさせるという意味がある。そう、世間一般で捉えられている諦めるは何かを仕方なく捨てるとか、割と消極的な意味で捉えられているけれども、本来は違うんだ。諦めることは、「決める」という積極的な意味があるんだ。だから、薫の決意は諦めることでありながらどこか清々しい。そこに、後ろめたさがあまりない。

 

これがもう少し主人公の設定年齢が上になると、やれ現実的でないとやいのやいの言われるか、世間という圧力に負けてしまう展開になったり何だか気が滅入る描写になってくると思うが、本作品はそこがまだ救いがいがあるように感じられる。やっぱり、小説は形だけでもハッピーエンドが一番だと思う。だから僕はどちらかというと児童小説とかのほうが好きなのかもしれない。救いがあるから。僕は本を読む上で、小説の中でまで苦しい思いになったりしたくないというのが本音です。本作品は、そこを重苦しくないようにあっさりと描いたのが見事だと思う。

 

そんなところかな。